Oasistブログ

自然言語、プログラミング、ライフハックを主に特集

退職エントリー Vol.1

f:id:oasist:20200115140752j:plain
Career Change

目次

1. 経歴① -システムエンジニア-

新卒で就職活動を行った時、英語とソフトウェアエンジニアリングをもって自分の人材としての市場価値を高め後に将来海外で働きたいという理由でシステムエンジニアになることを決めた。

海外で働きたい理由は、1年間のオーストラリア生活から帰国した後に特に感じたのだが、日本社会の持つ集団主義同調圧力)に肩身が狭く感じたからだった。
そういう訳で、もう一度オーストラリアに戻る方法を色々と考えた。

現地で働く中で学んだ教訓は、少なくとも以下の3つの要素が他者との差別化において不可欠だということだ。

  1. 専門技術
  2. 適切な保有資格
  3. 実務経験

就活時に出来たことと言えば、英語と英語学だけ。
しかし、私より英語が流暢な人はいくらでもいた訳で、英語だけで差別化を図ることは出来ないと考えており、別の方法を探していた。
それがソフトウェアエンジニアリングだった。

そういう訳でSES企業に入社したが、それは私のキャリアの最初の失敗だった。

1-1. プロジェクト

2ヶ月間の研修の後、あるタイヤ製造会社の子会社に派遣された。
そこで4つのプロジェクトに1年半従事した。

プロジェクト 仕事内容
Windows Server管理 日本中の工場に設置されたWindows Serversの運用保守、マニュアル作成
社内アカウント管理 全社員のアカウント情報の管理、更新
セキュリティ業務補佐 親会社、グループ会社へのセキュリティツール導入、社内のスパムメールの受信状況調査
英語通訳 海外拠点とのテレビ会議出席、 海外スタッフのデータセンターへのアテンド

1-2. 職場環境

お互いに話しかけたり微笑みかけたりなど滅多になく、かなり静かで沈んだ空気が流れていた。
よく目にしたのは、誰かが上司に叱られているところだ。

さらに悪いことに、現場のプロジェクトに関わっているとはいえ、そこの正社員ではなく、私は単なる調整弁程度にしか思われていなかった。
PLの態度は私がよそ者だということを思い知らせた。

1-3. 身につけたもの

正直なところ、プロパー社員の指示やマニュアルに書いてある手順に沿ったことしか出来ないので、専門技術など何も身につかなかった。
自分で工夫する余地などなかったのだ。
ただ、CSの基礎を勉強して取った以下の4つの資格が唯一の収穫だった。

資格 発行者
情報セキュリティマネジメント 情報処理推進機構(IPA)
応用情報技術者試験 情報処理推進機構(IPA)
基本情報技術者試験 情報処理推進機構(IPA)
ITパスワード 情報処理推進機構(IPA)

2. 転職のきっかけ①

2-1. 専門技術を身につける機会がゼロ

毎日プロパー社員の管理下で決まった仕事をこなすだけなので、何も身につかないことに焦っていた。
Windows Serversや情報処理、Linuxの勉強を自分で行ったが、そういった知識が活かされる場面もなさそうだった。

「ここでもう3年働いて何が身につくだろうか?」と自分自身に問いかけたが、答えは「何もない」。
事実、現場マネージャーに「ここでの仕事の仕方は学べるけど、専門技術は何も身につかないよ」と言われたくらいだ。

2-2. 高い要求水準と低い賃金

私は2つの会社に属していた状態だった。
1つは自社、そしてもう一つは現場だ。

昇給のため、自社には6ヶ月ごとに以下のミッションを課された。

  1. 現場に貢献する観点での2つの目標
  2. 自己研鑽の観点での2つの目標
  3. 会社文化を高める観点での1つの目標

6ヶ月ごとに毎回5つの目標を設定しなければならなかった。
目標が簡単だったり達成できない場合、昇給の機会を逃してしまう。
一体誰がたった6ヶ月で5つもの目標を達成できるというのだ?

また、月一回の全社集会(帰社日)は参加強制で、もし出席しなかったら評価が下がってしまう。

おまけに、新卒社員は現場業務終了後、月一回の定例会に出席し、会社づくりについて話し合わなければならなかった。
明らかな残業だが、残業代の支給はなく、イニシアティブも与えられなかった。

そのような状況だったので非常に忙しかったが、支給される賃金は恐ろしく低く、全く割に合わなかった。

2-3. 精神不調

私は2つの問題の悩まされていた。

一つは、自社の社長とNo.2がかなり独裁的だったこと。
どんなに彼らの命令や態度が理不尽だったとしても、逆らうことは許されなかった。
あたかも彼らの言うことは例外なく100%正しいかのようで、雰囲気はどこかのオカルト宗教に近かった。

そしてもう一つはプロパー社員の強いプレッシャーだった。
サーバー運用保守は100%の精密さが求められ、失敗は許されない。
それはそうあるべきだし、そのことは私も理解している。

しかし、彼は四六時中私を見張り、彼の思い描くことからはみ出すことを許さす、自分のことは棚に上げ、ちょっとしたミスにもネチネチ何度も文句を言ってきた。
そこで抵抗すべきだったが、評価が下がることを恐れ言わなかったことは完全に判断ミスだった。

ついにストレスが爆発し、一時的であれ精神的苦痛から逃れんがために、剃刀で何か所も腕を切る自傷行為に走った。
ある日精神科医にかかり、ストレス適応障害であることと、その現場を離れるように告げられた。

2ヶ月の休職を取り、その間に転職活動を始めた。

3. 転職①

当初はサーバー管理者としての仕事を探していたが、実務経験が乏しく、SES業界を辞めてより良い仕事にありつくことは難しそうだった。

ある日、既に転職して新しい職場で働き始めていた元先輩社員と話す機会があった。
プログラミングを始めることを勧められたが、その時は本気にしなかったが、日々が過ぎるにつれて興味が湧いた。
プログラミングはより建設的で創造的に思えたからだ。
「何かを作り出せる人は差別化できる」と思ったのだ。

応募した企業様の一つが、教育と採用を兼ねたプログラムを提供していた。
それは

Ruby on Railsで日程著性アプリを作って提出して下さい。完走出来たら、採用の社長面接を受けることが出来ます。

というもの。
私とRuby on Railsの出会いだった。

RubyRuby on Railsを独学しながら上記のプログラムに取り組み、同時に転職活動を続けること5ヶ月。
最終的にプログラムは完走できたが、その企業様とはご縁がなかった。
その数週間後、別の企業様から内定を頂き、Webエンジニアとして第2のキャリアをスタートした。


続く